2011年10月半ばに考えていること。

10月半ば。

暑さはいつの間にか過ぎ去って、大分過ごしやすくなった。
朝晩は肌寒いほどに。
虫の音も聞こえる。

なんだか、実感がない。
まだ半年あるのか、半年しかないのか。
まだここにいるので、実感がない。

秋が訪れ、澄みきった空気を感じるたび、なぜだか妙に切なくなる。
小さい頃からそうなのか、それとも小さい頃の思い出がそうさせるのか。
もしくは、もっと個別的な過去のある出来事がそうさせるのか。
それとも、暑かった夏が過ぎ去り、これから迎える冬の寒さを想像する、
その束の間の存在がそうさせるのか。
いづれにせよ、とても好きな季節ではあるのだけど。

来年から日本を離れるからかもしれない。
離れるだろうからかもしれない。
秋の訪れとは別に、このせいかもしれない。

京都に住み始め、6年半が経った。
その間、当然のようにいろんなことがあった。
いろんなところを巡った。
いろんな人に出会った。
よく自転車であてもなくぶらぶらしたり、
鴨川で何をするわけでもなくぼーっと過ごしたりした。

それでもいまだに、どこか借り暮らしという感覚がある。
僕の街、ではない。
とても好きな街なのに、ここに居座らないんだろうなという感覚がずっとあった。

僕は今、とあるゲストハウスに住んでいる。
去年の夏からここに越してきた。
京都市内でのちょっとした引っ越し。
だけど、僕の生活環境は一変した。

ほぼ毎日、誰かがやってきて、誰かが去っていく。
知らない誰かが来るのを待ち、知らない誰かと多かれ少なかれ会話を交わす。
ときには、話し込む。
全く関わらずに去っていく人もそう少なくない。
テレビも置いていない。
ここにいると世間の流れとはあまり関係なく、日々がそのまま流れていく。
たまに、今日が何曜日だったか忘れる。

今日が、10月半ばだという事実に少し驚く。
ヨーロッパから帰国し、3ヶ月経っていた。
震災が始まってから、7ヶ月経っている。

その事実がじわじわと染みわたっている。
日増しに。
忘れるどころか、すぐそばにどっしりとある。
過去の出来事ではないので、忘れることなんて出来るはずがない。
現在進行中の、今起こっている出来事なのだ。
そして、それはもう、少なくとも僕が生きている間、ずっと続くだろう。
どうやったらそれを過去のものにすることができるだろうか。
終わらないことを忘れるには、目をつぶるか、夢の中で生きるしかない。
とは言え、たとえ忘れることができたとしても、現実には何も変わっていないのだ。
今生きている僕らに刻まれたこと。
歴史に刻まれていること。
刻まれてしまったこと。

きっと、このことをしっかり受け止めない限り、僕らは前には進めないのだろう。
もう今まで通りには、戻れないだろう。
今まで通りでいつづけようとすることが、果たしてどんな意味を持つのだろう。

好む好まざるに関わらず、今を生きる日本人全ての目の前にそれは突きつけられている。
これから生まれてくる日本人にも否応なく突きつけられるだろう。

2011年、地震、津波、放射能といった、とてつもなく大きな災害に直面した。している。
それらは僕らの生活に大きな陰を落とした。落とし続けている。
そして多くの大切なものを失った。失い続けている。
ネット上では、多くのさまざまな意見、憶測、数値が飛び交っている。
誰かが誰かを非難する。しあう。黙り込む。
僕らが抱えている問題は、今回の災害の件だけじゃない。
きっと、いろんな問題が複雑に絡んで、潜んでいるのだろう。

もしかしたら、これまで目をつぶっていただけなのかもしれない。
先送り、先送り。
今さえよければ。
なんとかなるだろう。
誰かがなんとかしてくれるだろう。
そんなことより、どうやったら楽してお金を稼げるかな。
この服、飽きたし処分して新しいのを買おう。
ボーナスカットだよ。
年金、ちゃんともらえるかな。
あの芸能人、結婚したんだ。

今思えば、とても平和だったんだと思う。
そしてそれが、当たり前だった。
当然のように、10年後、20年後、50年後の暮らしのことを考えていた。
疑いようもなく、存在していた。
夢の中には。

311以前は、良かった。
あの頃に戻りたい。
あの出来事さえなければ、今頃…

きっと、これから何度かそう思うことがあるだろう。
そして、悔やんだり苦しんだり絶望したりするのだろう。
あのときあぁしていれば…と思うこともきっとあるだろう。

僕はこのことをそのままのかたちで受け止めたいと思う。
悲しみや絶望を感じたとしても、過去に生きたいとは思わない。
無理に今すぐに希望を見いださなければとも思わない。
先は長いのだから。
そしてこのことに対して、起こらなければよかったとか、
これは我々にあたえられた試練だ、というふうには解釈したくない。
僕がどう思おうが、「事実」でしかないのだから。

そして今、あらためて突き詰められていること。

さて、あなたはこの世の中でこれから、どこで、どのように、どうやって、どこに向かって生きていくのか。
生きていきたいのか。

311以前と同じような価値観で生きていくのは、きっと難しいだろうなということは直観でわかる。
捨てなければいけないものもあると思う。
より広い視点で、物事を見ていかないといけないと思う。
だけど、そうすることによって、もしかしたら、より鮮やかになる部分もあるかもしれない、とも思う。

どう“暮らす”かということから、どう“生きる”か。
本質的で、根本的な問題に直面している。
そこには正解はないだろうし、誰も行き先を教えてくれない。

僕は、自分の「生」を、自分でしっかりと担っていきたいと思う。
他人に委ねたいとは思わないし、思えない。
そこだけは譲りたくないし、譲るべきじゃないとも思っている。
その代わり、自分の頭で考えつづけなければいけないだろう。

子供のままでも生きていられた。

今までは。

だけど、そうはいかなくなった。

これからは。

僕らは「大人」にならなければならない。

たとえ時間がかかろうとも。

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